まほろばの島詩

50年ぶりに帰ってきた故郷の風景写真

四国八十八ヶ所・長尾寺~志度寺

7月25日、所用で横須賀へ帰る嫁さんと茶華を高松空港まで送った後、ふらりと《塩江温泉/奥の湯》まで行ってみたが、
朝から《温泉》もないだろうと踵を返し、四国霊場めぐりに切り替えた。 この無計画さが僕らしい・・。 www バシッ!
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塩江温泉《奥の湯》からUターンし、遍路道を北上。四国八十八箇所霊場第八十七番札所 「長尾寺」 に向かった。


ここは静御前が源義経と別れた後、母の磯禅師と共に訪れ、得度して尼となり庵を結んだ寺と言われる。(その庵はない)
この寺の山門は、仁王門と鐘楼を兼ねており、大きな草鞋(わらじ)がかかっている。
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参拝後、この寺のご詠歌を見ると、《あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えて》 とあった。
・・・あれ~、この歌は百人一首にも選ばれている柿本人麿の歌に似てるな・・・と思った。 ※下記参照
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それにしても暑い!《歩き遍路》さんには恥ずかしいが、お大師さんに参拝した後、納経所に逃げ込んだ。 大師堂 
「長尾寺」を出、途中コンビニでアイスコーヒーを飲みながら「志度寺」への道を聞き、再び車を走らせた。 
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迷いながらも30分程で辿り着いたのは志度湾。屋島、五剣山を望む志度湾には 入江為守 の歌碑が建っていた。
身の丈をはるかに越える大きな歌碑には 万葉仮名 でこう刻まれている。
「玉乃浦興呂津世乃可計左也加耳茂天留都幾能加賀見遠美佳久多麻農宇良南三」  御歌所長子爵 爲守書 
「 タマノウラ ヨロズヨノカゲ サヤカニモ テルツキノ カガミヲ ミガク タマノウラナミ 」   
(玉の浦 よろず世の影さやかにも  照る月の 鏡を磨く玉の浦波)
この浜が謡曲『海人』(海女の玉取り伝説)の舞台かと、暫く穏やかな海を眺めてから隣接する「志度寺」に向かった。         「入江爲守歌碑」 (750x542)


「志度寺」 山門には運慶作と伝えられている大きな木造金剛力士立像(県重文)が邪気を追い返す形相で立っている。
ここにも「長尾寺」同様、巨大な草鞋(わらじ)がかけらている。四国霊場には大きな草鞋が掛けられている寺が多い。
これは、遍路さん達が過酷な遍路旅を最後まで耐え抜く事が出来るように・・・との願いからだと聞く。
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■ 山門(仁王門、1670年(寛文10年)頃の建立。 国の重要文化財)をくぐると、33,000㎡の境内には、
殉愛海女の墓、曲水式庭園と無染庭、田宮坊太郎ゆかりお辻の井戸、三尊仏、芳室文塚と松風塚、総檜造りの五重塔等があり、歴史を刻む昔を語りかける。 =さぬき市HPより=
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■本堂・本尊( 1670年(寛文10年)建立。国指定重要文化財)本尊・十一面観世菩薩立像、さらに両脇侍の不動明王立像、毘沙門天立像は平安時代の檜一木造り。讃岐藩主、松平頼重により寄進された本堂とともに全て重要文化財に指定されている。
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浜辺に建つ寺にふさわしく、本堂と大師堂の前には高塩濃度に耐える塩生(えんせい)植物の「ハマボウ」が咲いていた。
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お参りを済ませ、真っ先に行ったのは、志度寺縁起にもなっている、竜神から宝珠を取り返す《海女の玉取り伝説》の
「海女の墓」。静かなウバメガシの林の中に並んで苔むしていた。
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「海女の墓」の隣には、高浜虚子の長男、高浜年尾の句碑が建っていた。名の《年尾》は正岡子規が名付けた。
この句は昭和27年のお盆に息女汀子と「志度寺」参拝の折に詠んだもの・・・と案内板に記されていた。
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こちらは3年3ヶ月の歳月をかけて、昭和50年5月に落慶した新しい「五重塔」。
地元出身の実業家によって寄進されたという。 塔の高さ33㍍、塔屋の間口4.5㍍五層総檜造り、威風堂々たる塔だ。
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四国霊場88ヶ所の中で、「五重塔」があるのは、竹林寺(高知)、本山寺(香川)、善通寺(香川)と、この志度寺の4ヶ所。
「塔」は遠くからでもよく見えて、遍路さんたちには場所も良く分かるし、大いに勇気付けられる事と思う。
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「志度寺」の記事はもう少しありますが、今日はこの辺で失礼します。この続きは次回に。
それでは又、元気な笑顔でお会いしましょう。 
今日もコメント欄は閉じさせて頂いております。

   **************************************
《 あしびきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む 》   柿本人麿
■「志度寺・本堂」(国・重要文化財)
 寛文10年(1670)12月20日上棟。高松藩初代藩主松平頼重公が建立。
 桁行(けたゆき)7間、梁間(はりま)5間、入母屋(いりもや)造、本瓦葺。県下の近世建立の仏堂としては唯一の七間堂で、
 前面には軒唐破風(のきからはふ)をつけた3間にわたる向拝(こうはい)を設け、その規模、容姿はともに群を抜いている。
■「志度寺・山門(仁王門)」(国・重要文化財)
 志度寺山門は、世に三棟(みつむね)造りと云われる東大寺転害門(てがいもん)と同じ構造で、寛文建築の特徴を良く著している。円柱の本柱四本の前後にそれぞれ四本ずつの控柱があって、三間一戸八脚門、切妻造り、本瓦葺で、本堂と同時期建立の木割りの太い八脚門である。
 天正11年(1583年)讃岐に進攻した土佐の長宗我部元親が、山門を潜ろうとした時急に馬が動かなくなった。不思議に思って元親が両脇の仁王像を見ると、「後光」がさしていたので部下に命じ、志度寺を焼く事を禁じ、恭しく寺仏に礼拝して古高松に引き上げたと伝えられる。
■「志度寺・木造金剛力士立像 2躯」(県・有形文化財)
 金剛力士は四天王とともに仏法を守護する目的で寺院の入口に位置する仁王門内に安置される。山門内の仁王像は、右に那  羅延(ならえん)金剛(阿形)左に密迹(みつじゃく)金剛(吽形)の二体を奉祠しており、共に鎌倉時代運慶の作。
 両像共に桧材の寄木造り彫眼の像で、写実的に表現された大作で、まことに豪快である。
 像高は口を大きく開けた阿形(あぎょ  う)が304cmで、口を結んだ吽形(うんぎょう)は325cmである。
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  1. 2015/08/23(日) 00:00:00|
  2. 香川のお寺や神社

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Author:喜多さん
瀬戸内海と東京湾、二つの故郷を行ったり来たりの根無し草。
瀬戸内の小さな島や三浦半島の風景、生活等を中心に描いています。
又、折々に咲く身近な草花や、旅先で出合った風景等も織り交ぜながら、好き勝手な事を綴っています。

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