高校野球も劇的な死闘を制した「東海大相模」が優勝しました。
神奈川県人として応援したいし、東北の復興を願い仙台育英にも勝って欲しいし・・・複雑でした。
残念な事に香川をはじめ、四国勢は一回戦で全て姿を消してしまいました。


高校野球も終わったところで、僕も一休み。
今日は、先日ひょいと我が家の前にやって来た航海訓練所練習船
「大成丸」 をご覧下さい。

《鬼の霍乱》ってやつですか、夏バテとやらで涼しい部屋で休んでいます。

うまい具合に最近雨が続き、畑の水遣りをしなくて良いので助かりました。
猛暑続きのころだったら、野菜も僕も共倒れになるところでした。

で、折角の船の写真をUPしていますが、船の事も無知ですから上手に説明は出来ません。
同じような写真ばかりで恐縮ですがご覧下さい。

一番近くで撮れる下新田という所からの写真です。ここは、島と本土(荘内半島)が一番狭まっている場所です。
全て夕刻からの写真で(調整はしていますが)暗いと思いますがご容赦下さい。

毎日、島をサイクリングしている人が丁度走って来たので撮らせてもらいました。

こちらはカラス同様好きではない「アオサギ」。頼みもしないのに、撮ってくれとばかりこちらを見ていたので仕方なく一枚。

背景は定期便の港がある詫間町須田。後方の山は徳島との県境の山。更に一番奥の高い連山は四国山地です。
県境の山と四国山地の間には、あの四国三郎、吉野川が滔々(とうとう)と流れています。四国山地の遥か向こうは、
龍馬も眺めた太平洋が広がっています。そんな事を思いながら景色を眺めていると飽きる事はありません。

港の隣は、戦時中「詫間海軍航空隊」のあった香田
(こうだ)という所です。
昭和18年6月1日に開設され、水上機の実用教育が行われていました。

昭和19年9月、※ 横浜海軍航空隊は
(横須賀追浜(おっぱま)にあった)、沖縄攻防戦に備えその主力をここ詫間に移ってきました。
この「詫間海軍航空隊」の事は、世に余り知られていませんが・・・、ここで猛訓練を受けた神風特攻隊員達は、
最前線基地の鹿児島知覧等へ飛び立ち、更に南方へ特攻に飛び立って帰らぬ人となったのです。

勿論、大戦末期にはここの詫間の水上基地は連合軍の爆撃を受け、戦後は進駐軍に占領されました。
この水上機の一大基地があったところが、後方に見える工場や香川高等専門学校詫間キャンパスの建っている所でした。
因みに、その時2歳だった僕は母の田舎である新潟の山村に疎開していましたので命は助かりました。

天気が回復したのか、日が明るく対岸を照らしていたので浜に出て見ると、

「大成丸」が西日を受けて金色に輝いていました。

慌てて、望遠を取りに行って戻ってみると、早、「大成丸」は日陰の中。金比羅方面はまだ明るい日が残っています。

こちらは、讃岐富士。日の当たっている所は、少林寺拳法の本山のある多度津。

「大成丸」はいつも2,3日停泊して訓練するので、明日ゆっくり撮ろうと思いましたが、
万が一雨が降るといけないので、夜景も撮れる時に撮っておこうと思い立ちました。

翌日、「大成丸」の姿がいつの間にか見えなくなっています。
「航海訓練」に行ったのだろうから、夕刻には又帰って来るだろうと思っていましたが、それっきり帰って来ませんでした。

やはり、「明日はあてにならない。できる事はその日のうちに済ませておく事だ」と、改めて思いました。
それでは又、元気な笑顔でお会いしましょう。

今日は夏休みのためwww、コメント欄は閉じさせて頂いています。 m(--)m
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■※ 横浜海軍航空隊 映画
『永遠の0』 ■ 昨年度UPの
「大成丸」 です。花火も少々・・www
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- 2015/08/21(金) 00:00:00|
- 船、港
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