まほろばの島詩

50年ぶりに帰ってきた故郷の風景写真

奈良・京都観桜旅行 6/20 「如意輪寺」

今日は、延喜年間(901~923)創建と伝えられる、「後醍醐天皇」の勅願寺「如意輪寺」です。
山門より見た「如意輪堂」(本堂)です。山門に「楠木正行(まさつら)公遺跡の看板が掲げられています。
楠正行はあの大楠公(だいなんこう)と称された「楠木正成」(くすのきまさしげ)の子どもです。
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「如意輪寺」の説明を聞いた後、多宝塔方面へ向かう一行から外れ、後醍醐天皇陵に向かいました。
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後醍醐天皇陵(塔尾陵) は、本堂背後の小高い杉や桧の林の中にありました。
後醍醐天皇は≪北都≫(山城国平安京)に思いを馳せながら約4年間ここ吉野行宮(=南都)で過ごし、延元4年(1329)8月16日崩御されました。(天皇の意志を汲み)陵は北都(=平安京)のある北向きに建てられています。直径22m、高さ4mの円丘になっているそうです。
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後醍醐天皇の無念を思いながら石段を下りて来た先に、 芭蕉の碑 が建っていました。
芭蕉が「如意輪寺」に立ち寄った折に詠んだ「御廟年経て 忍は何を しのぶ草」の句碑です。
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右向こうに小さく見えていたのは「弁内侍と至情塚」の碑です。
楠正行の人柄がよくわかる逸話です。 (※詳細については■後述の資料をご覧ください)
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「後醍醐天皇御霊殿」です。 後醍醐天皇御自作の木造を安置されているそうです。
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多宝塔へ向かう途中の「宝物館」前の庭園の枝垂れ桜だけは見頃を迎えていました。
紅白の枝垂れ桜の下には「宝物館」があり、楠木正行が出陣の際詠んだ辞世の歌を鏃で刻んだ扉や、桜材の蔵王権現立像(重要文化財)など寺宝が多数陳列されていました。※館内は撮影禁止で写真はありません。
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宝物館の先に建っている「多宝塔」です。
檜造りの納骨堂で、本尊は阿弥陀如来。大正十五年 1926年、本瓦葺、一辺4.6m。
樹齢約150年の多宝塔のしだれ桜ですが、残念なことにここでも開花が大分遅れているようです。
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それでは「如意輪寺」多宝塔を見ながら一寸だけ歴史の復習をさせて下さい。、(忘れぽくなった自分の為の復習です)www
武士中心の政治から天皇中心の政治を取りもどしたかった後醍醐天皇は、楠木正成、足利尊氏、新田義貞等の力を借りて、鎌倉幕府を倒して、京都で天皇中心の政治に戻した。 (=建武の新政)
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やがて、武士の不満がたまり、一緒に鎌倉幕府を倒した足利尊氏が意を翻し、(尊氏が≪逆賊≫といわれるのはその為ですが)、その不満武士を束ねて反乱を起こし、京で光明天皇を新天皇に擁立し再び武家政治に戻そうとした。
建武三年(1336年)足利尊氏は≪建武式目≫を定め、二年後には、征夷大将軍になって室町幕府を開いた。
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一方、尊氏に攻められた後醍醐天皇は、吉野(奈良県)に逃れてもなお天皇中心の政治を行った。
こうして二つの朝廷(二人の天皇)が出来、その後約60年間もの間二つの朝廷が争いを続けた。
この争いを≪南北朝の争い≫と言った。
_DSC8734 (750x543)

尊氏達の居る京の朝廷を(奈良・吉野の北にある都なので)≪北の朝廷=北朝≫と言い、
後醍醐天皇の居る吉野の朝廷を(京都の南なので)≪南の朝廷=南朝≫と言った。
・・・よ~し、O・K。復習終わりです。(バシッ!馬鹿に早い勉強時間だね。)
僕は昔から勉強時間は超~短かかったから、そのペースは乱せない!意志が固いから。www
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すっきりした所で、我々一行は「如意輪寺」の見学を終え、≪吉野山・中千本≫の方にバスで向かいました。
バスを降り、≪吉野山・中千本≫へ向かう道からの「如意輪寺」遠望です。
未練がましいので言わないが、枝垂れ桜が咲いていたら良かったのになあ~。 (バシッ!言ってるじゃん!)
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左より「多宝塔」「花見座敷」「宝物館」です。「花見座敷」は桜の時期のみオープン。
ここからの中千本は絶景だそうですが・・・。 (未だ言ってる・・・)024 (750x563)
それでは又、桜の名所( ^ω^)・・・≪吉野山・中千本≫でお会いいたしましょう。
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※■ 【弁内侍と至情塚】
後村上天皇に仕えた女官に、弁内侍と言う者があった(日野俊基の娘)。日ごろ から天皇の寵愛を受けていたが、ある時、高師直が自分の妾にしようとして内待を 誘ったが、途中運よく通り合わせた正行によって難を救われた。その因縁もあって、 天皇より正行へ給わらんとしたが、正行は戦に出ることをおもって
  ≪とても世に永らふべくもあらぬ身の仮りのちぎりをいかで結ばん≫
と断った。そしてその翌年、四条畷で戦死したのである。内待は悲しみの余り、吉 野郡龍門村龍門寺に入って髪を切り、尼となって正行の菩提を弔った。その時の歌に
 ≪大君に仕へまつるも今日よりは心にそむる墨染の袖≫とあり、その黒髪の一部を埋めたのが、この至情塚だと言われている。
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  1. 2017/05/05(金) 00:00:00|
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Author:喜多さん
瀬戸内海と東京湾、二つの故郷を行ったり来たりの根無し草。
瀬戸内の小さな島や三浦半島の風景、生活等を中心に描いています。
又、折々に咲く身近な草花や、旅先で出合った風景等も織り交ぜながら、好き勝手な事を綴っています。

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