午前中 「祐斎亭」~「天龍寺」を案内をして貰ったMさんと渡月橋で別れ、
次に我々が向かったのは、
大変身した「嵐電・嵐山駅」。

目的は、「広隆寺」の国宝
弥勒菩薩半跏思惟像。

「嵐電/嵐山駅」は平成19年、森田恭通氏のデザインで全面改装された。
改札口を設けず、友禅の生地をアクリルで包んでポール状にし、林に見立て
た斬新なデザインの「キモノ・フォレスト
(友禅の光林)」が600本設置されている。

“京都の竹林や花街に迷い込んだ様な“というコンセプトかな?
我々老夫婦は切符売り場や改札口を探して右往左往。

改札口は設けず、
電車賃は車内精算のシステムを理解するのに電車1本やり過ごす始末。


10分程で「太秦広隆寺駅」に到着。駅前には広隆寺の楼門が見える筈。
あれ~、下車駅一つ間違えたかな・・と一瞬焦る。

「こちらですよ、お爺さん」の妻の声に、「あった~!」
(バシッ!)www
駅前の太秦
(うずまさ)交差点の方を振り向くと二層の立派な「楼門」が建っている。


左を見ると、嵐山駅行きの電車。信金の入り口が駅ホームの続きのよう。

駅前の太秦の交差点。これから向かう広隆寺はこの交差点の一角にある。

太秦
(うずまさ)の交差点から塀沿いに北(右)へ500m程行くと
「東映太秦映画村」
(広隆寺と隣接)がある。右隅が建物が改修中の「講堂」。

広隆寺楼門を入り、右手に講堂
(重要文化財)があるが改修中で見学できず、
上宮王院太子殿(本堂)へ。

享保15年(1730年)建立。檜皮葺入母屋造。
堂内奥の厨子内には本尊として聖徳太子立像が安置されている。

ツツジの咲く参道を《霊宝殿》
(右奥、屋根がちらりと見える)へと急いだ。
国宝の
弥勒菩薩半跏思惟像。木造千手観音立像、十二神将像等々が安置されている。
広隆寺は何年ぶりだろう・・久しく来ていなかった。

短い時間だったが、これで思い残すことはない。この寺を訪ねるのは
これが最後になるだろう・・等々の思いを抱きながら楼門を出た。

「太秦広隆寺駅」に到着。10分間隔で発車するので至って便利。
この電車で嵐山駅に戻る。

車内は思いの外混んでいた。

車両最後部に立っていたので、
嵐山本線と北野線の2路線が接続している「帷子ノ辻駅」の様子を一枚。

16時半頃「嵐電/嵐山駅」に到着。駅前の土産店で“京漬物”を買い、

「花のいえ」に戻って来た。流石にその後は宿から出ず、
明朝、島に向けて帰る準備を整え、いつになく早めの就寝。

翌日(19日)、8時半頃「花のいえ」を出発し、三豊市粟島に向け出発。
2時過ぎ瀬戸大橋を渡り、善通寺ICで下り、多度津で昼食を摂りながら
海上タクシーの手配。島に渡る須田港に向かう途中から突然の雷雨。
海上タクシーは、雷雨と濃霧と高い波の中を笹舟のように揉まれながら
粟島港に無事入港。桟橋まで迎えに来てくれた知人の車で我が家に無事到着。
写真は18日の朝のものです。
と言うことで、二泊三日の京都旅行を中心に島の戻って来た時の話でした。
それでは、今日も明日も 穏やかな良き一日でありますように。

※尚、今日、5月26日~28日迄、二泊三日の遍路の旅に出ます。
その間、皆様のブログへは訪問できません。ご容赦ください。
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「嵐電/嵐山駅」
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「広隆寺楼門」戸時代中期の1702年(元禄15年)に建立されたと言われています。楼門には室町時代に造仏された仁王像(金剛力士像)が安置され、
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「広隆寺」(Wikipedia)
□学習メモ
【飛鳥文化・飛鳥時代の特徴、仏像、飛鳥寺、法隆寺、広隆寺、】 ※広隆寺は⑧参照
□帷子ノ辻
(かたびらのつじ)→
地名の由来
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- 2023/05/25(木) 00:00:00|
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