まほろばの島詩

50年ぶりに帰ってきた故郷の風景写真

★★★YOKOHAMA 1 「岡村」~「根岸」

小学校6年の春、瀬戸内の小さな島から横浜に転校して来た僕は、毎日のようにこの丘に登って来た。
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横浜市磯子区岡村町。陸上自衛隊岡村駐屯地より眺めた富士山、丹沢連山。1/28 12:47 撮影



ここから眺める昼間見る大きな富士は、僕に勇気を与えてくれた。「街の子に負けるな!」と。
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しかし、徐々に辺りが暗くなり始めると、その握っていた力こぶしの力も抜けていき、
いつしか「帰りたい!」と言う望郷の想いが沸き起こり、涙を流しながら眺める日々が続いた。
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 横浜市磯子区岡村町。陸上自衛隊岡村駐屯地より眺めた富士山、丹沢連山。1/28 17:15 撮影

あの山の向こう、ずっと西の空の下に「故郷」がある。そこにはいつも遊んでいた友がいる。声も聞こえてくる。
転校が決まった時、好きだった先生は「新しき横浜よ、わが友を強く育てよ!」
帳面に太く大きく力強い字で激励の言葉を書いてくれ、僕の手を力いっぱい握ってくれた。
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日毎「帰りたい。・・・帰れない。」その思いは強くなるばかりで、なかなか横浜の街に馴染めなかった。
そんな僕の為にと、母が貰ってくれた芝犬を連れ、僕は毎日のようにこの丘に登った。そして泣いた。
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帰りはいつも、この丘の隣にあるく 【岡村天神】 で時間をつぶし、流した涙を悟られないよう家に帰った。
母を悲しませてはいけないと「帰りたい」と漏らす事も、その素振りも見せず家では明るく振舞っていた。
しかし、僕の思いを母は知っていた。僕が遅く帰ったある日、僕の部屋に来て「辛いねえ。ごめんね。」と僕を抱いた。
僕は初めて母の胸に顔を埋めて泣いた・・・。中学1年の春だった。
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あれから・・もう、60回近い春を迎える・・・。
・・・まだ梅の咲かない境内に座って、僕は遠い遠い昔の事を思い出していた・・・。
こんな女々しい話も今だから話せるんだろうねえ・・・。ww
DSC07539 (600x398)

随分涙もろくなった爺さんの話を聞きながら・・あれ~、「岡村町」、「岡村天神」・・・
どこかで聞いた事があるような、と思われた方も居られる事と思います。
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そうです。ここは人気グループ「ゆず」が育った町、「岡村」。境内にある幼稚園の傍にはこんな大きな掲示板があり、
「ゆず」の岩沢厚治さん(左)が通っていたと書いてありました。
DSC07541 (600x408)

「岡村天神」を後にした僕が向かったのは「岡村中学校」。「ゆず」の出身校です。
勿論、僕もここを卒業しているのですが、誰も知らないですよね~。 バシッ! 
僕が通っていた頃は木造二階建て、校庭の真ん中に 「岡村製作所」  がありました。
人気グループ「ゆず」が通っていたのはこの新しい校舎だと思います。
旧木造校舎で、校庭の真ん中にあの《岡村製作所》があったなら、きっと歌にしていたでしょう。
♪理科室の窓を開けるといきなりカーバイトの匂いが入ってくる・・・僕等の頭はもうクラクラ・・・」♪とか何とか・・。www
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ここはその「岡村中学校」の近くの懐かしい路地。粟島から横浜に転居して20年程住んでいた所。
僕の家はこの路地の突き当たりにあった。大きな銀杏の木や柿、栗の木も切られ、その跡地には何軒もの家が建っていた。
今は昔の面影はどこにも無い。近所の家々もどこも新しく建て替えられていた。
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近所の懐かしい人達に出会う事もなく友人宅へ向かい、90分程四方山話をしながら楽しい時間を過ごした。
(と言っても、この年になると話題の殆どは病気の話だが。
ここまで来たなら、久しぶりに≪山手界隈≫へもぶらっと行ってみようと思い立った。
帰りには、もう一度岡村の丘に立ち寄って、富士や丹沢を眺めてみようと思っていたので急ぎ足だ。
ここは 【横浜競馬場跡】(根岸競馬場跡) ここも、懐かしいところだが感傷に耽っている時間は無い。www
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この後、「港の見える丘公園」へ行きましたが、その時の話は次回に。
それでは、又。風邪にお気をつけ下さい。

************************************************

資料■  【岡村製作所】 
太平洋戦争敗北によって業務を失った航空機メーカー・日本飛行機の旧社員であった吉原謙二郎(創業者)たちによって横浜市磯子区岡村町に1945年10月に創業され(会社設立は1946年)、金属加工技術を活かしたアメリカ軍向けのスチール家具納入で業績を高めた。社名は創業の地から取られた。
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  1. 2013/02/10(日) 00:00:00|
  2. 横浜
  3. | コメント:20
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コメント

富士山・・・

こんばんは
さっき仕事から帰ってきましたが 外は-8度でした
寒いのを通り越して 痛かったです

数年前 カチカチ山で富士山を撮ったことを
思い出しました そして30歳の頃 5合目
から 富士山に登ったことがあるんですよ
なんと山頂には 郵便局があったり NTTの
公衆電話があったり なんといっても
「孤高の人」加藤文太郎が 世話になった
測候所の仲間で 今では廃止になっていますけれど
富士山はいいですね
  1. 2013/02/10(日) 02:25:02 |
  2. URL |
  3. ユウスケ #U4sqHcGI
  4. [ 編集 ]

こんにちは

いい話ですね 私も父親の仕事の関係で北海道に
転勤し道内を転々とましたのですが、北海道が故郷
と思っています 小中高大まで北海道で暮らしました
去年40年ぶり位に昔の家を見にいきましたが
解りませんでした それだけ変わっていました
私の青春は、どこにいったんでしょか でも記憶に
残っていればいいのかなと思っています

  1. 2013/02/10(日) 14:05:00 |
  2. URL |
  3. yoreyoreman #-
  4. [ 編集 ]

ユウスケさん
お疲れ様のところありがとうございます。
-8度の世界・・・想像もつきません。
今朝起きた室温が12度。その差20度・・・。
これで寒い!なんて言っていたら笑われますね。
でも寒がり屋の自分は・・やっぱり、寒い。www

富士は僕も30代の夏に5合目から頂上に昇りました。
春はスキー板を車に乗せて朝の東名を爆走しwww.富士で春スキーを楽しんでいました。
やはり5合目まで車で昇り、そこから板を担いで(シールは余り効きませんからwww)
2時間ぐらい昇り、疲れたら滑り降り、又登る。滑る・・。そんな事を繰り返して遊んでいました。

「孤高の人」加藤文太郎・・・。
彼の生き方に憧れ、山岳書も読み漁りました。
それまではどちらかと言うと僕は慎重派でしたが
彼の≪単独行≫を真似てみようと、夜を徹して北アルプスを歩いたこともありました。
一時、はまりましたwww.
彼が初めてパートナーと登った北鎌尾根で思いもよらぬ非業の死を遂げたのは本当に残念でした。
鳥取方面を旅行した時、文太郎の故郷「浜坂」にも立ち寄り、お墓参りもさせてもらいました。
二度目は家族旅行で我が息子「岳人」たちも連れて行きましたが・・・
恐らく覚えているのは「美味しいかにを食べた」ことぐらいだろうと思います。wwwww
「岳人」・・自分の思いを込めすぎたのか、中学のころからいつの間にか「楽人」に代わった様で、
人生楽しんでいるようです。www
話が逸れました・・・。

今では浜坂に立派な「加藤文太郎記念館」が建っていると聞きました。
是非訪ねてみたいなと思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
yoreyoremanさん
ありがとうございます。
転校の不安や寂しさ悲しさは(勿論希望もありますが)経験した者にしか分からないと思います。
ましてや内向的な性格の児童生徒であれば尚更です。いじめも当然ありますしね・・・。
世の学校の先生達にはどうぞ転校生には出来る限りの愛情を持って受け入れ態勢を整えて欲しいと思います。
(って、こんなところでこんな事を言っても仕様のないことですね。ww)
yoreyoremanさんもそうだったのですか。
もと住んだ家はなくなっていても、知っている人たちがいなくなっていたとしても、言われる通り
≫記憶に 残っていればいいのかなと思っています

僕の第二の故郷、横浜の場合もそうでした。

  1. 2013/02/10(日) 15:01:21 |
  2. URL |
  3. 北さん #-
  4. [ 編集 ]

北さん一家に遅れる事10年、私達一家も粟島を離れ横浜岡村町に越してきました、
「ゆず」のデビュー曲そのままの町で私は娘時代を過ごしました。
「ゆず」の岩澤さんのおとうさんが開く岩澤空手道場に通い、道場最初の有段者にもなりました。
い〜町でした岡村町は。記憶に残る町でした。
今日の写真とても懐かしく見せていただきました。
  1. 2013/02/10(日) 22:30:50 |
  2. URL |
  3. ふうちゃん #-
  4. [ 編集 ]

 小学校6年生で、見ず知らずの遠くの土地への転校は、やはり、たいへんだったのですね。わたしには、転校の経験がないので、想像の範囲だけで、実感的にはわからないのですが・・・・・・。しかし、お母様は、ちゃんとお気持ちをわかっていらしたのですね。
 その横浜のお宅のあたりも昔とは大きく変わってしまっているのですか。時の流れを感じてしまいます。そんなとき、『方丈記』の冒頭に、そんなようなことが書かれていたことを思い出してしまいます。
 ゆずといえば、きょう、子どもがコンサートに行って、さっき帰ってきました。
  1. 2013/02/10(日) 22:44:55 |
  2. URL |
  3. ラムダ #-
  4. [ 編集 ]

ふうちゃん
ありがとうございます。
天神さんから谷地さんのアパートを左折し懐かしい天神湯の前を通り
ラーメン屋珍家の前を抜けながら岡村の家に行ってきました。
懐かしかったですね~。家の路地の一番奥まで入っていったのは30数年ぶりでしょうか。
全く昔の面影はありません。
表札を見ながら奥まで行きましたが名前だけは変っていなかった。何か嬉しい気分でした。

一時の岡村中学は全国の中学校で学校が荒れた時代、御他聞に漏れず≪大荒れ≫の噂を聞きました。
ぐるり学校を一回りしましたが、今ではそんな様子の一片もなく安心しました。
もっともあの≪荒れ≫は学生運動に現を抜かた人たちが教員となり≪学校に自治を!≫
なんて大儀を掲げ反体制の組織を固めていった日教組の落し物です。
やがて彼らにしてみれば運動の成果とも言える≪荒れ≫がわが身に降りかかってきた。
もっとも生徒達をどうにか・・・と真剣に悩み苦しんだのは
≪師≫と呼ぶにふさわしい少数派の良識ある教師だけでしたけれど。」ね。
って、又余計なことを・・・。言わなきゃ良い爺さんなんだけどね。www

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ラムダさん
おはようございます。
こどもにとって転校の不安度?はかなり違いますが、僕の場合は≪新しい世界で・・≫
と、希望に燃えた転校では無かったですね。
非常に恥ずかしがり屋で内向的だったので、友だちを作るのにも時間がかかり、・笑・
方言のコンプレックスもあったし、勉強の遅れもあるのではないかと一応心配していましたからね。www
その不安を煽るかの如き近所の悪がきや大人たちが
「横浜の子は、よう勉強しよるらしい。皆英語で話もするそうや・・大丈夫か?」
な~んてからかうしね・・・・笑・

岡村・・変っていましたね~。家は多く建て替えていましたがバス通り(商店街)は全く変わりました。
それこそ、ラムダさん言われる通り『方丈記』の「序」そのもののようでした。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。」 (以下略)

お子さんは「ゆず」のファンですか?
だったら、もしかして岡村中学校横のスポーツ屋さんにジャージを買いに行っていたとか・・・笑・
そういえば、「岡村天神」の≪ゆずお守り≫も大人気だとか・・天神さんは学問の神様ですからね。
もっとも、ご利益があるかどうかはわかりませんよ、何しろ毎日のように行っていた僕がこれですから・・・。wwww
でも、ラムダさんのお子さんなら神頼みしなくても大丈夫でしょう!!e-257

  1. 2013/02/11(月) 12:00:22 |
  2. URL |
  3. 北さん #-
  4. [ 編集 ]

北さん、こんばんは、

ご無沙汰しています、
小6の春、横浜に転校されたのですか、
親には言えず、小さな胸を痛めていたのでしょう、
懐かしかったのでしょうね、自然一杯の粟島を、
横浜市神奈川区に叔父夫婦がいますので、
子供の頃、良く連れて行って貰いましたが、
田舎育ちの子供の、故郷を想う、子供心は解る気がします、
隔世の感が、大きい幼少時代の、
北さんを一寸見せて戴きました、
ご活躍、期待しております。
  1. 2013/02/11(月) 18:43:43 |
  2. URL |
  3. Digital_Photo 花遊悠 #-
  4. [ 編集 ]

こんばんは!
小6に転向ですか、私は小3の時親父の仕事関係で転向しました、まだガキの頃だったからなんだかよくわかりませんでしたが江南に来てもう40年になります、一度、元住んでいた所を観見ましたがすっかり景色が変わってて分からなかった、
  1. 2013/02/11(月) 21:35:16 |
  2. URL |
  3. 尾張小牧 #-
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  1. 2013/02/12(火) 00:56:52 |
  2. |
  3. #
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花遊悠さん
ありがとうございます。
島の生活が良かっただけに辛かったですね。
見るもの聞くもの全てが違うような世界でした。
その魅力に胸躍らせたことも確かですが、友達の出来ない辛さはそれ以上でした。
都会としては(都会といえるかどうかは別として ・笑・ )庭が200坪程あり
柿、栗、ざくろや種々の花木が植えられていましたから退屈せずいつも一人庭で遊んでいました。
中学時代はメジロやホオジロ、文鳥なども飼っていました。
島では一日中外で遊んでいましたからその習慣でしょうか、
所謂≪閉じこもり≫は全く無かったですね。それこそ無遅刻無欠席・・・でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尾張小牧さん
ありがとうございます。
不思議なことに転校が決まったからの事はよく覚えていますが
それまでの事は余り覚えていませんねぇ。悪いことして怒られた事ぐらい・・・。www
転勤での転居は仕方ないですからね~。
子どもにとっては遊んだ山川の自然より友との別れの方が辛いですね。
それにしても都会の様子の変化は早いです。
田舎は60年過ぎても路地一つかわっていない。
よく遊んだ広場や道端の大きな石の在り場所も昔のまま・・・驚きです。www
だからこそ尚更懐かしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鍵コメさん
ありがとうございます。
子ども達に「辛く寂しい思いをさせてはならない」折れそうになる自分を支え続けてくれたのは、
小さな僕を「この子」といわずに「我が友」と呼び、その行く末を祈ってくれた師の言葉でした。

厳しい自然環境の中から生き抜いている動物、植物は皆たくましく、きれいです。
ウインドウの中に飾られた花より足元の野の花が愛惜しいのはそのためかも知れません。
  1. 2013/02/12(火) 11:23:51 |
  2. URL |
  3. 北さん #-
  4. [ 編集 ]

転校って、した人でないと判らないこともあるんですねぇ~・・・
私は転校の経験は有りませんので何ともですが・・・
でも、今の横浜は日本丸も有るし、私が大好きな船が沢山見られるので羨ましい!!!
  1. 2013/02/12(火) 13:17:47 |
  2. URL |
  3. @我楽多 #kTvoSsVA
  4. [ 編集 ]

我楽多写楽さん
ありがとうございます。
子どもの転校は学年等も微妙に作用しますし、生活環境の問題もあるし・・・
かなりの個人差もあります。
今までの生活とはがらり一変しましたからね。
新しい街《横浜》は見るもの聞くもの全てが珍しく何もかもが整って・・・
そういう意味ではとても魅力にあふれる街でした。
  1. 2013/02/12(火) 18:56:36 |
  2. URL |
  3. 北さん #-
  4. [ 編集 ]

こんばんは!

ご無沙汰しています。

私には、転向経験がありませんので、お気持ちを察することは出来ませんが、北さん様も、子供心に葛藤があったのですね。
今と、なっては素敵な故郷があって羨ましいです。

↓ 「YAMAHA/FJR1300A 」2007年仕様
恰好良いですね。
素敵な撮影会があったようですが、私も行きたかったです。(笑)
それにしても、素敵ですね。
このような二輪車を、乗っている方は、本当にピカピカに磨いていますよね。
私には、無理です。(爆笑)

今日は、ありがとうございました。



  1. 2013/02/12(火) 22:36:36 |
  2. URL |
  3. みっちゃん #-
  4. [ 編集 ]

みっちゃんさん
ありがとうございます。
あの頃は多感な少年でしたから・・・・wwww
転校の経験など無いほうがいいですよ。

「YAMAHA/FJR1300A 」2007年仕様
なかなかのもんでしょう。
みっちゃんさんは免許お持ちなのでうずうずされると思います。
今回の失敗が無いように次回は
ピカピカの新車「YAMAHA/FJR1300A 」に乗ってくるのを楽しみにしています。
今回のような失敗が無いように
《オートバイの撮り方》等の雑誌を立ち読みして勉強しておきますから、
次回は乞う御期待です!

  1. 2013/02/12(火) 23:00:14 |
  2. URL |
  3. 北さん #-
  4. [ 編集 ]

懐かしいく、感無量です。私も島を出て岡村の家に居候させてもらい、あれから47年経ちました。タオルぶら下げ、石鹸カタカタ鳴らし、行った風呂屋の天神湯、うまかったねぇ。ミルクコーヒー。今は風呂屋も無くなり、町並みも変わりしたけれど、天神様の坂を上り凧を揚げた岡村公園から見る景色は変わらないですねぇ。
  1. 2013/02/16(土) 14:51:05 |
  2. URL |
  3. カンさん #-
  4. [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2017/01/30(月) 23:15:09 |
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  3. #
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  1. 2017/01/31(火) 08:49:57 |
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  3. #
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  1. 2017/02/01(水) 14:27:48 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

鍵コメ〇O中学校同窓会様
コメントを頂きながらの見落とし、大変失礼いたしました。
今朝(2017,02,03)気が付きました。
何度も何度も申し訳ありません。

「岡村天神の記事」ご覧頂き、ありがとうございます。
お問い合わせの件、嬉しく承知いたしました。

今でもたまに昔住んでいた場所に行ってみることがあります。
何処にも寄らず、(昔歩いた山道はもうありませんから)
ただ懐かしく(元住んでいた家も今はなく)車で回り、
最後は岡村天神にお参りして横須賀に帰って来ます。

中学校を卒業後は、都内の高校・大学を出て、く念願通り教職に身を置き、13年前に退職ました。
今は冬の間だけ横須賀で過ごし、春、夏、秋の三シーズンは郷里である瀬戸内海の島でのんびり過ごしています。

岡村中学校のますますの発展を祈念いたします。
  1. 2017/02/03(金) 09:12:08 |
  2. URL |
  3. 喜多さん #-
  4. [ 編集 ]

承諾ありがとうございます

喜多さま
いえいえ、ご丁寧なご返信有り難うございます。
そして承諾有り難うございます。
このブログの記事を読み感動しました。
少しでも多くの岡村中出身者にシェアしたく思いますので今後とも宜しくお願い申し上げます。
  1. 2017/02/04(土) 16:48:46 |
  2. URL |
  3. 岡村中学校創立70周年大同窓会 #kDHBvN9.
  4. [ 編集 ]

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プロフィール

喜多さん

Author:喜多さん
瀬戸内海と東京湾、二つの故郷を行ったり来たりの根無し草。
瀬戸内の小さな島や三浦半島の風景、生活等を中心に描いています。
又、折々に咲く身近な草花や、旅先で出合った風景等も織り交ぜながら、好き勝手な事を綴っています。

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